25.「朋あり遠方より来る、亦楽しからずや」
何かと忙しかったお盆も過ぎほっとしている今日この頃ですが、今回は『朋(友)あり遠方より来る、亦(又)楽しからずや』について書いてみます。今、開催中の北京オリンピック開会式でもこの言葉が引用されました。孔子の『論語』にある有名な言葉なので誰でも知ってはいますが、本来の意味は「遠くからわざわざ友人が共に学ぼうと訪ねて来る。自分の学ぶ道に理解者があることは、なんとも楽しいことである」(講談社『日本語大辞典』より)だそうです。
山さんも一般的に「遠くの友達が遊びに来てくれた。本当に楽しく嬉しいな!」という意味にしか理解していませんでした。正しい解釈を理解した上で一般的な解釈に従って書かせてもらいます。今年は三つも、いや、北京オリンピックを入れて四つも嬉しい『朋(友)あり遠方より来る、亦(又)楽しからずや』があったからです。
一つ目は、勤務時代の海外派遣仲間「八七の会(1987年の派遣)」の集まりが七月末に作並温泉で開催され参加したことです。今から二十一年前に東西ドイツ、フランス、イギリスの学校訪問をした仲間(来年度からは全員が退職者)ですが、高齢化が進みすでに数名が故人になるなど、体調の思わしくない方々も多く参加者は激減状態です。逆に夫婦での参加者が増え、より家族的な親近感のもてる会合となりました。
集まった仲間は少ないが当時を思い出し、一泊二日を楽しんで来年の再会を楽しみに帰路に着きました。来年は山さんの担当なので、三沢市で開催することになります。
二つ目は、山さんの中学校の同期会がお盆中にあり、約三十名の六十三歳が集まって楽しく過ごす機会があったことです。千葉県から参加した女性は、転んで怪我をしたのにどうしても出たい一心で回復し、「参加して良かった。主人も子ども達も参加すればもっと良くなるので、是非参加した方がいいよ!」と言ってくれたそうで、本人は「本当に参加して良かった!来なければ後悔したし、回復もここまでできなかったかもしれない。」と大変喜んでいました。三年ぶりの同期会でしたが、それでも中学時代の事を初めて聞かされたり話したりと、自分が知らない事を相手が知っていたりその逆もあるなど、何年経っても会うたびに懐かしさが深まるから同期会は不思議です。
三のつ目は、三沢市と姉妹都市を結んでいるアメリカのウェナッチバレーの皆様方が、三沢祭りに合わせて来訪中で山さん宅でも一名の女性をホームスティ(19日~24日)させています。今回で五回目ですので特別な気遣いもせずに自然体で受け入れています。距離からすれば一番の遠方より来る友です。英語が話せない山さんは、妻に頼り切りなので、これを機会に英語学校にでも通い始めようかとも考えています。
私達人間は、人に支えられ他人を支えてあげてこそ、個人としての友や団体及び国を越えた友との交流を通して、『朋(友)あり遠方より来る、亦(又)楽しからずや』を実感できるのではないでしょうか?
山さんも一般的に「遠くの友達が遊びに来てくれた。本当に楽しく嬉しいな!」という意味にしか理解していませんでした。正しい解釈を理解した上で一般的な解釈に従って書かせてもらいます。今年は三つも、いや、北京オリンピックを入れて四つも嬉しい『朋(友)あり遠方より来る、亦(又)楽しからずや』があったからです。
一つ目は、勤務時代の海外派遣仲間「八七の会(1987年の派遣)」の集まりが七月末に作並温泉で開催され参加したことです。今から二十一年前に東西ドイツ、フランス、イギリスの学校訪問をした仲間(来年度からは全員が退職者)ですが、高齢化が進みすでに数名が故人になるなど、体調の思わしくない方々も多く参加者は激減状態です。逆に夫婦での参加者が増え、より家族的な親近感のもてる会合となりました。
集まった仲間は少ないが当時を思い出し、一泊二日を楽しんで来年の再会を楽しみに帰路に着きました。来年は山さんの担当なので、三沢市で開催することになります。
二つ目は、山さんの中学校の同期会がお盆中にあり、約三十名の六十三歳が集まって楽しく過ごす機会があったことです。千葉県から参加した女性は、転んで怪我をしたのにどうしても出たい一心で回復し、「参加して良かった。主人も子ども達も参加すればもっと良くなるので、是非参加した方がいいよ!」と言ってくれたそうで、本人は「本当に参加して良かった!来なければ後悔したし、回復もここまでできなかったかもしれない。」と大変喜んでいました。三年ぶりの同期会でしたが、それでも中学時代の事を初めて聞かされたり話したりと、自分が知らない事を相手が知っていたりその逆もあるなど、何年経っても会うたびに懐かしさが深まるから同期会は不思議です。
三のつ目は、三沢市と姉妹都市を結んでいるアメリカのウェナッチバレーの皆様方が、三沢祭りに合わせて来訪中で山さん宅でも一名の女性をホームスティ(19日~24日)させています。今回で五回目ですので特別な気遣いもせずに自然体で受け入れています。距離からすれば一番の遠方より来る友です。英語が話せない山さんは、妻に頼り切りなので、これを機会に英語学校にでも通い始めようかとも考えています。
私達人間は、人に支えられ他人を支えてあげてこそ、個人としての友や団体及び国を越えた友との交流を通して、『朋(友)あり遠方より来る、亦(又)楽しからずや』を実感できるのではないでしょうか?
24.コラムの休憩時間(子ども達の五・七・五<3>)
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今日で7月も最後になりましたので、久しぶりに子ども達の『五・七・五』を紹介してみたいと思います。すでに夏休みに入って二週間を迎えようとしていますが、子ども達は毎日元気にのびのびと楽しく過ごしていることでしょう。事故のない夏休みであってほしいものですね!
最近の先生方は子ども達と違ってなかなかのんびりと過ごすことが出来ず、会議や研修会、出張、部活動の指導などで多忙な毎日を送っていることと思います。
そんな先生方の普段の様子を子ども達がどんな目で見ているのかを五・七・五で感じてもらいたいと思います。先生に親しみをもって見ている子ども、少しさめた目で批判的に見ている子ども、こうしてくれたら?自分の方も見てほしいと願っている子どもなどいろいろです。都合の悪い句には、学年や氏名を書かないやさしさ?の配慮も感じます。(山さんはそう思いますが皆さんはどうでしょうか?)
以下の作品に目を通したら、是非、子どもの目での解釈をお願いします。
<先生を表現した『ぼく・わたしの五・七・五』>(原文のまま)
1.先生は おこるけれども かわいいよ (5年:男子)
2.先生は とてもやさしい ひとなのさ (5年:女子)
3.せんせいは いつもなんじに かえるんだ (2年:男子)
4.先生は いつもやさしい うれしいな (5年:男子)
5.せんせいは とてもだいすき わたしがね (1年:女子)
6.せんせいは せかいいちばん やさしいよ (3年:女子)
7.せんせいは おこんなければ やさしいよ (3年:男子)
8.先生も みんなニコニコ たのしいな (4年:女子)
9.先生は しずかにさせる まほう人 (3年:女子)
10.先生は わらうとかおが かわいいな (3年:女子)
11.先生は いつもうるさい おしずかに (?年:?子)
12.先生は おこるとこわい たいへんだ (3年:女子)
13.先生さ 一人一人に 気をつかえ (3年:?子)
14.先生は ひとりにだけは やさしいよ (3年:?子)
15.先生は どうしていつも わらわない (?年:?子)
16.先生の 話長すぎ たいくつだ (?年:?子)
17.先生は いつもみけんに しわできる (5年:女子)
18.せんせいと かあさんはなし ながすぎる (1年:女子)
最近の先生方は子ども達と違ってなかなかのんびりと過ごすことが出来ず、会議や研修会、出張、部活動の指導などで多忙な毎日を送っていることと思います。
そんな先生方の普段の様子を子ども達がどんな目で見ているのかを五・七・五で感じてもらいたいと思います。先生に親しみをもって見ている子ども、少しさめた目で批判的に見ている子ども、こうしてくれたら?自分の方も見てほしいと願っている子どもなどいろいろです。都合の悪い句には、学年や氏名を書かないやさしさ?の配慮も感じます。(山さんはそう思いますが皆さんはどうでしょうか?)
以下の作品に目を通したら、是非、子どもの目での解釈をお願いします。
<先生を表現した『ぼく・わたしの五・七・五』>(原文のまま)
1.先生は おこるけれども かわいいよ (5年:男子)
2.先生は とてもやさしい ひとなのさ (5年:女子)
3.せんせいは いつもなんじに かえるんだ (2年:男子)
4.先生は いつもやさしい うれしいな (5年:男子)
5.せんせいは とてもだいすき わたしがね (1年:女子)
6.せんせいは せかいいちばん やさしいよ (3年:女子)
7.せんせいは おこんなければ やさしいよ (3年:男子)
8.先生も みんなニコニコ たのしいな (4年:女子)
9.先生は しずかにさせる まほう人 (3年:女子)
10.先生は わらうとかおが かわいいな (3年:女子)
11.先生は いつもうるさい おしずかに (?年:?子)
12.先生は おこるとこわい たいへんだ (3年:女子)
13.先生さ 一人一人に 気をつかえ (3年:?子)
14.先生は ひとりにだけは やさしいよ (3年:?子)
15.先生は どうしていつも わらわない (?年:?子)
16.先生の 話長すぎ たいくつだ (?年:?子)
17.先生は いつもみけんに しわできる (5年:女子)
18.せんせいと かあさんはなし ながすぎる (1年:女子)
23.「声にも、正直な声、不正直な声・・」?人の声を考える
私達が何気なく話している声ですが、その人の聴き方や感じ方によっては、いろいろな受け取り方があるようです。詩人の三好達治氏に「声にも、正直な声、不正直な声やつくり声や、形式的な声があるようである。乏しい声を聞くのは愉快でない。」 という言葉があります。また、「その人の話す声には、その人の教養や人間性のみならずその人の生き方も感じられる」(間違っているかも知れないが、概要ですのでお許し下さい)という誰かの言葉かは思い出せませんが、山さんの記憶にあります。いずれも、何と考えさせられる言葉ではありませんでしょうか?
現職の頃、用事があって電話をかけた時に、知っている方だと明るく親しそうに受け答えをするが、知らない方だと事務的につっけんどんな応対をされた記憶が何回もあります。まれですが、どなたに対しても単なる事務的ではなく、心から明るく爽やかに応対してくれる方がいて本当にいい気持ちになったこともあり忘れられません。そんな方は、実際にお会いしてみるととても誠実で感じが良く、人間的にもすばらしい方でした。正に、『声は人柄を感じさせる』ものだと実感させられました。山さんも声には気をつけてきたつもりですが、「教養や人間性、生き方」までも感じられるとなれば、うかつに声を発せられない気がして躊躇してしまいそうです。
考えてみれば、声にはどうしてもその時の感情が一番先に出て伝わってしまい、話しているうちにその人の知性や教養の中身が声を通して相手に感じられるのだと思います。別な見方をすれば、受け取る側の知性や教養の違いもあるのかもしれませんが、いずれにしても自分の声には自分で責任を持つしかありません。どんな相手に対しても、誠意を持って対応していればその声には、その人なりの一生懸命さと人柄が感じられるものだと思います。
持って生まれた親からの授かりものである声ですが、その大事な声を作っていくのは自分でしかないのですから、時々自分の声や話し方を振り返ってみるのもいいことなのではないでしょうか?声にはその人の仕事の状態や生活観がもろに感じられているのかも分かりません。自分の仕事や生活、生き方に満足していれば、自ずと発する声にも明るさと心の余裕や自信も相手に伝わっていくのだと思います。これを機会に、少しだけでも自分の声や他人の声に注意を傾けてみるのもいいのではないでしょうか?今回は、ちょっと気になる声に関する話でした。
現職の頃、用事があって電話をかけた時に、知っている方だと明るく親しそうに受け答えをするが、知らない方だと事務的につっけんどんな応対をされた記憶が何回もあります。まれですが、どなたに対しても単なる事務的ではなく、心から明るく爽やかに応対してくれる方がいて本当にいい気持ちになったこともあり忘れられません。そんな方は、実際にお会いしてみるととても誠実で感じが良く、人間的にもすばらしい方でした。正に、『声は人柄を感じさせる』ものだと実感させられました。山さんも声には気をつけてきたつもりですが、「教養や人間性、生き方」までも感じられるとなれば、うかつに声を発せられない気がして躊躇してしまいそうです。
考えてみれば、声にはどうしてもその時の感情が一番先に出て伝わってしまい、話しているうちにその人の知性や教養の中身が声を通して相手に感じられるのだと思います。別な見方をすれば、受け取る側の知性や教養の違いもあるのかもしれませんが、いずれにしても自分の声には自分で責任を持つしかありません。どんな相手に対しても、誠意を持って対応していればその声には、その人なりの一生懸命さと人柄が感じられるものだと思います。
持って生まれた親からの授かりものである声ですが、その大事な声を作っていくのは自分でしかないのですから、時々自分の声や話し方を振り返ってみるのもいいことなのではないでしょうか?声にはその人の仕事の状態や生活観がもろに感じられているのかも分かりません。自分の仕事や生活、生き方に満足していれば、自ずと発する声にも明るさと心の余裕や自信も相手に伝わっていくのだと思います。これを機会に、少しだけでも自分の声や他人の声に注意を傾けてみるのもいいのではないでしょうか?今回は、ちょっと気になる声に関する話でした。
22.「50歳を過ぎたら・・・」人の生きざまを考える
急がしぶりをしているうちに、すでに学校は夏休みに入り7月も後半を迎えてしまっていたのに驚いています。夏だというのに天候に恵まれない毎日にはうんざりですが、間もなく暑い日々が訪れることでしょう。
今回は、財団法人:元神奈川県ともしび財団理事の磯部裕三氏の「50歳を過ぎたら、自分の年齢は戸籍上の年齢ではなく、自分で創り出すものである。その人の生きざま(過去・未来)によって若く見えたり、逆にビックリするほど歳をとって見えたりするものだ」という言葉です。若い方々にはまだピンとこないかもしれませんが、山さんも若い頃は先輩によく「50歳を越えれば歳をとるのが速いもんだよ!」と言われたことを思い出します。また「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持ちなさい!」という言葉も聞きました。
人間の生き方や歳の考え方は様々でしょうが、上記の言葉にもあるように、40歳から50歳が区切りのような気がします。40歳や50歳になるとその顔は、自分が創り出した、いや自分が生きてきた人生の辛苦・喜怒哀楽等が自然に顔の表情に現れて隠しようがないということだと思います。だからこそ、その人が今まで生きてきた人生・生きざまによってや生き方の考え方によって若く見えたり、歳をとって見えたりするのだと思います。
山さんは、高校生や大学生、社会人一年生の時から、常に同級生より歳をとって見られていましたので、その頃は「なぜ自分だけが・・?」と感じていましたが、40~50歳になってようやくそれなりの歳に見られて単純に嬉しく思ったものです。ただ、自分の顔が他の人に現在、どう見えているのかは怖い気がします。若く見えなくてもいいが、「いい人生を過ごしている人だな!」と感じてもらえれば少し嬉しいですね。
昨年の集団検診では、「肺ガンの疑いがあるので・・?」(タバコを吸ったこともないが?)、今年は「胃にポリープがあるので・・?」といずれも精密検査の結果、異常なしで元気な毎日を過ごさせてもらっています。健康に感謝です!
今後も健康と自分の顔に責任を持ち、64歳(21日が誕生日でした)に向って明るく前向きな人生を歩んで行きたいと考えている山さんです。
今回は、財団法人:元神奈川県ともしび財団理事の磯部裕三氏の「50歳を過ぎたら、自分の年齢は戸籍上の年齢ではなく、自分で創り出すものである。その人の生きざま(過去・未来)によって若く見えたり、逆にビックリするほど歳をとって見えたりするものだ」という言葉です。若い方々にはまだピンとこないかもしれませんが、山さんも若い頃は先輩によく「50歳を越えれば歳をとるのが速いもんだよ!」と言われたことを思い出します。また「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持ちなさい!」という言葉も聞きました。
人間の生き方や歳の考え方は様々でしょうが、上記の言葉にもあるように、40歳から50歳が区切りのような気がします。40歳や50歳になるとその顔は、自分が創り出した、いや自分が生きてきた人生の辛苦・喜怒哀楽等が自然に顔の表情に現れて隠しようがないということだと思います。だからこそ、その人が今まで生きてきた人生・生きざまによってや生き方の考え方によって若く見えたり、歳をとって見えたりするのだと思います。
山さんは、高校生や大学生、社会人一年生の時から、常に同級生より歳をとって見られていましたので、その頃は「なぜ自分だけが・・?」と感じていましたが、40~50歳になってようやくそれなりの歳に見られて単純に嬉しく思ったものです。ただ、自分の顔が他の人に現在、どう見えているのかは怖い気がします。若く見えなくてもいいが、「いい人生を過ごしている人だな!」と感じてもらえれば少し嬉しいですね。
昨年の集団検診では、「肺ガンの疑いがあるので・・?」(タバコを吸ったこともないが?)、今年は「胃にポリープがあるので・・?」といずれも精密検査の結果、異常なしで元気な毎日を過ごさせてもらっています。健康に感謝です!
今後も健康と自分の顔に責任を持ち、64歳(21日が誕生日でした)に向って明るく前向きな人生を歩んで行きたいと考えている山さんです。
21.合唱をする嬉しさと楽しみ
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今、三沢市では市制50周年を記念し、いろいろな行事を計画していますが、その一つに市民ミュージックフェステバルがあります。一般市民約三百名近くが『三沢市民の歌』や『ふるさとの四季』『大地讃頌』などを歌います。11月16日(日)に公会堂大ホールで開催されますが、エンテンコール団員も山さんを含めて14名ほど参加しています。混声合唱なので、全くの初心者への指導にあたる方々は大変でしょうが、いつも楽しく和やかな中にも少しずつ合唱らしくなっていく喜びは参加した者でなければわからないかと思います。
山さんと合唱の縁は、大学1年生の時に出席をとっていた音楽の教授が、何故か?私の名前だけ2~3回繰り返し「はい!」と答えると「いい声だ!」と言うのです。それを聞いた合唱部の同級生に「楽譜を読めなくても合唱を知らなくてもいいから・・・」と騙されて?弘前大学混声合唱団員にされてしまいました。その後、弘前の歌声喫茶で歌唱指導のアルバイト、弘前メンネルコール、八戸メンネルコールを経て、三沢エンテンコールの創設に参加し現在、7月12日(土)の第30回定期演奏会に向けての練習を続けています。8月末には、青森市での県男声合唱フェステバルにも参加するので多忙です。
合唱の良さは、親からもらった楽器(声)さえあれば誰でも参加できる手軽さと、歌いながら感じられるしびれるような合唱のハーモニー(“メンタルハーモニー”)ですね。「本当に音楽を愛する人に悪い人はいない」と山さんは信じています。また、「合唱が成立する学校には非行はない」とも言います。「歌声の聞こえる家庭にも非行はない」とも言います。合唱は心で表現するのですから、歌う人の心が指揮者と共に一つにならなければすばらしい合唱にはなりません。だからこそ“メンタルハーモニー”なのですね。
楽器も何もいらないでいい気分になれる合唱の良さは、健康のためや気分転換にも最高です。演奏会後の打ち上げで、仕事や年齢を超えた仲間として一緒に歌い、一緒に飲むビールやお酒はまたまたおいしいのです。50年以上続けても音程やリズムに自信はないが、それでもやめずにきたのは、男声合唱の魅力以外にはありません。このコラムを目にして興味のある方は、毎週木曜日、公会堂の2階(視聴覚室)で19時から練習していますので、尋ねてもらえれば嬉しいですね。飲めて歌ってみたいという気持ちがあれば団員の資格ありです。仕事を離れた合唱の仲間は最高ですよ!
山さんと合唱の縁は、大学1年生の時に出席をとっていた音楽の教授が、何故か?私の名前だけ2~3回繰り返し「はい!」と答えると「いい声だ!」と言うのです。それを聞いた合唱部の同級生に「楽譜を読めなくても合唱を知らなくてもいいから・・・」と騙されて?弘前大学混声合唱団員にされてしまいました。その後、弘前の歌声喫茶で歌唱指導のアルバイト、弘前メンネルコール、八戸メンネルコールを経て、三沢エンテンコールの創設に参加し現在、7月12日(土)の第30回定期演奏会に向けての練習を続けています。8月末には、青森市での県男声合唱フェステバルにも参加するので多忙です。
合唱の良さは、親からもらった楽器(声)さえあれば誰でも参加できる手軽さと、歌いながら感じられるしびれるような合唱のハーモニー(“メンタルハーモニー”)ですね。「本当に音楽を愛する人に悪い人はいない」と山さんは信じています。また、「合唱が成立する学校には非行はない」とも言います。「歌声の聞こえる家庭にも非行はない」とも言います。合唱は心で表現するのですから、歌う人の心が指揮者と共に一つにならなければすばらしい合唱にはなりません。だからこそ“メンタルハーモニー”なのですね。
楽器も何もいらないでいい気分になれる合唱の良さは、健康のためや気分転換にも最高です。演奏会後の打ち上げで、仕事や年齢を超えた仲間として一緒に歌い、一緒に飲むビールやお酒はまたまたおいしいのです。50年以上続けても音程やリズムに自信はないが、それでもやめずにきたのは、男声合唱の魅力以外にはありません。このコラムを目にして興味のある方は、毎週木曜日、公会堂の2階(視聴覚室)で19時から練習していますので、尋ねてもらえれば嬉しいですね。飲めて歌ってみたいという気持ちがあれば団員の資格ありです。仕事を離れた合唱の仲間は最高ですよ!
20.東奥日報夕刊の『世相川柳』の投句について
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もう6月も中旬を迎えようとしています。本当に月日や時間の過ぎる速さには、いつも驚くばかりです。特に今月に入ってからは原油高の跳ね返り?反動?かどうか分かりませんが、1リッター当たりどこのスタンドでも170円以上というのですから、正に異常な高値と言わざるを得ません。
さて、実は山さんの趣味の一つに、川柳の投句や標語の投稿などがあります。標語でも過去に幾つかの賞に入ったことがあります。東奥日報夕刊の『世相川柳』へは古間木小学校時代に若い同僚に勧められて始めたのがきっかけで、現在も続けてきています。ここしばらく休んでいましたが、先週に書いて出した川柳が何と?昨日(8日)の夕刊に挿絵入りで掲載されビックリです。
原油高 人も車も 出不精に
ちょうどタイムリーなこともあったのでしょう。今まで12回ほど掲載されていますが、挿絵つきは初めてなので嬉しくてなりません。いつもは、自分の姓名を逆にして村山一義で投句していたのですが、今回は何故か?本名で掲載されてしまいました。新聞社、いや私の間違いなのでしょう。
山さんの川柳は、全くの自己流で誰にも習うことなく、川柳の会にも所属することなく好きなように作ってきました。以前に「本当の川柳とは、人間をうたうもの、生きていることをうたう、自分を含めて回りの人に優しい意気持ちで、辛いことは辛い、悲しいことは悲しい、その感情、思いを五七五にすることである。」という言葉を見つけ、誰の言葉かは知りませんが、この言葉の中に含まれている内容からはみ出さないように作ればいいのだろうと信じて続けています。
昨日は、友達に誘われて岩手県の久慈市、田野畑村、葛巻町方面にドライブに行って来ましたが、久しぶりに自然の美しさと自然のパワーをもらい楽しい一日を過ごすことができて満足して帰ってきました。天気にも恵まれ最高のドライブ日和でした。馬淵川の源泉も初めて目にすることが出来て幸せです。
・誘われて 友とドライブ 感謝です ・蝉の声 一足先に 夏感じ
さて、実は山さんの趣味の一つに、川柳の投句や標語の投稿などがあります。標語でも過去に幾つかの賞に入ったことがあります。東奥日報夕刊の『世相川柳』へは古間木小学校時代に若い同僚に勧められて始めたのがきっかけで、現在も続けてきています。ここしばらく休んでいましたが、先週に書いて出した川柳が何と?昨日(8日)の夕刊に挿絵入りで掲載されビックリです。
原油高 人も車も 出不精に
ちょうどタイムリーなこともあったのでしょう。今まで12回ほど掲載されていますが、挿絵つきは初めてなので嬉しくてなりません。いつもは、自分の姓名を逆にして村山一義で投句していたのですが、今回は何故か?本名で掲載されてしまいました。新聞社、いや私の間違いなのでしょう。
山さんの川柳は、全くの自己流で誰にも習うことなく、川柳の会にも所属することなく好きなように作ってきました。以前に「本当の川柳とは、人間をうたうもの、生きていることをうたう、自分を含めて回りの人に優しい意気持ちで、辛いことは辛い、悲しいことは悲しい、その感情、思いを五七五にすることである。」という言葉を見つけ、誰の言葉かは知りませんが、この言葉の中に含まれている内容からはみ出さないように作ればいいのだろうと信じて続けています。
昨日は、友達に誘われて岩手県の久慈市、田野畑村、葛巻町方面にドライブに行って来ましたが、久しぶりに自然の美しさと自然のパワーをもらい楽しい一日を過ごすことができて満足して帰ってきました。天気にも恵まれ最高のドライブ日和でした。馬淵川の源泉も初めて目にすることが出来て幸せです。
・誘われて 友とドライブ 感謝です ・蝉の声 一足先に 夏感じ
19.団体旅行のその後についての報告
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最初のコラムで、「団体旅行とプライバシーの壁」について悲観的な内容を書きましたが、最近、嬉しい旅行を体験しましたので報告したいと思います。
今月11日から15日にかけて東奥日報社主催の沖縄本島と諸島巡りの旅に妻と二人で参加しましたが、楽しい旅行を経験できて本当に感謝です。なんと参加者の名簿と住所(市町村のみ)一覧が全員に配布されたので、お互いに名前を確認する機会ができたためか最初から親しみが感じられました。おかげで今までにはない楽しく嬉しい旅行ができました。全員が青森県の方々であり、当日の夕食会には簡単な自己紹介もありましたので、より親しみを覚えたのかもしれません。
ほとんどはご夫婦での参加者でしたが、中には男同士、女同士の友達との参加者で、個人での参加者は一人のみでした。たまたま近くに座った女性と話す機会があり、「三沢市からの参加です」から話が発展し、その方の従姉妹と私が知り合いで話が盛り上がり、旅行後に写真も送ってあげました。また、その他数名の方々とも私の知人の知り合いであることがわかりびっくりしました。
旅行が進むに連れて気軽に話し合える仲間となり、今までに経験したことがない良い意味での団体旅行を経験することができました。仲の良いご夫婦、いたわりあうご夫婦、姉妹みたいな母親と娘さん、姉妹みたいな女性グループ、兄弟のような男友達などなどでした。
多くの参加者は退職者や高齢のご夫婦でしたが、皆さんお元気でしたので、アラブの諺『長生きをするものは多くを知る。旅をしたものはそれ以上を知る』を思い出しました。ただ長生きをするのではなく、山さんを含めて健康で旅が続けられることで長生き以上のことを知りたいものだと思った旅でした。旅は人との出会いであり、日常生活からの開放感を味わえる楽しみに加え、その土地の食べ物、文化、歴史、人との交流等を満喫できる日々だと思いました。
個人的には、ホテル近くの居酒屋『夢風亭』で、気さくなご主人と話す機会がもてたことは、山さんにとってまた別な楽しみでした。是非、もう一度尋ねてみたいものです。こんな出会いも旅をしたからなのです。旅・旅行に乾杯!
今月11日から15日にかけて東奥日報社主催の沖縄本島と諸島巡りの旅に妻と二人で参加しましたが、楽しい旅行を経験できて本当に感謝です。なんと参加者の名簿と住所(市町村のみ)一覧が全員に配布されたので、お互いに名前を確認する機会ができたためか最初から親しみが感じられました。おかげで今までにはない楽しく嬉しい旅行ができました。全員が青森県の方々であり、当日の夕食会には簡単な自己紹介もありましたので、より親しみを覚えたのかもしれません。
ほとんどはご夫婦での参加者でしたが、中には男同士、女同士の友達との参加者で、個人での参加者は一人のみでした。たまたま近くに座った女性と話す機会があり、「三沢市からの参加です」から話が発展し、その方の従姉妹と私が知り合いで話が盛り上がり、旅行後に写真も送ってあげました。また、その他数名の方々とも私の知人の知り合いであることがわかりびっくりしました。
旅行が進むに連れて気軽に話し合える仲間となり、今までに経験したことがない良い意味での団体旅行を経験することができました。仲の良いご夫婦、いたわりあうご夫婦、姉妹みたいな母親と娘さん、姉妹みたいな女性グループ、兄弟のような男友達などなどでした。
多くの参加者は退職者や高齢のご夫婦でしたが、皆さんお元気でしたので、アラブの諺『長生きをするものは多くを知る。旅をしたものはそれ以上を知る』を思い出しました。ただ長生きをするのではなく、山さんを含めて健康で旅が続けられることで長生き以上のことを知りたいものだと思った旅でした。旅は人との出会いであり、日常生活からの開放感を味わえる楽しみに加え、その土地の食べ物、文化、歴史、人との交流等を満喫できる日々だと思いました。
個人的には、ホテル近くの居酒屋『夢風亭』で、気さくなご主人と話す機会がもてたことは、山さんにとってまた別な楽しみでした。是非、もう一度尋ねてみたいものです。こんな出会いも旅をしたからなのです。旅・旅行に乾杯!
18.コラムの休憩時間(子ども達の五・七・五<2>)
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すぐ連休が始まりますので、コラムの休憩時間で今回も子ども達の『五・七・五』を紹介します。子ども達の五・七・五を見ていると、その家庭の状況や親子関係、子ども達の親に対する願望などが何となく想像されてなりません。
以下の作品を読まれましたら、是非、よい意味での解釈をお願いします。
<父親を表現した『ぼく・わたしの五・七・五』>(原文のまま)
1.お父さん あしが大きい すごいなあ (2年:女子)
2.おとうさん いつもおしごと ありがとう (3年:女子)
3.お父さん さかなつりに ついてくぞ (2年:女子)
4.おとうさん いつもやさしく ありがとう (3年:男子)
5.お父さん さけをぜんぜん のまないよ (?年:?子)
6.おとうさん いつもこわいよ プンプンと (1年:男子)
7.お父さん 少しは動け なまけるな (4年:男子)
8.おとうさん たばこくさいよ においます (2年:女子)
<母親を表現した『ぼく・わたしの五・七・五』>(原文のまま)
1.おかあさん いつもごはんを ありがとう (3年:女子)
2.おかあさん いつもつかれて だいじょうぶ(2年:男子)
3.お母さん いつもやさしい さいこうだ (?年:?子)
4.お母さん いつもニコニコ ありがとう (2年:女子)
5.おかあさん わたしのために ありがとう (3年:女子)
6.おかあさん おこったかおは おにみたい (3年:女子)
7.お母さん いつもおこると つのはえる (?年:?子)
8.おかあさん いつもかんかん おこりすぎ (1年:女子)
両親のことになれば、どうしても低~中学年の子どもの作品が多いようです。一番、素直で損得抜きに親を観察しているのかも知れません。一緒に遊びたい、親の仕事の苦労もその子なりに理解し、感謝をしていることに驚きますね!
子どもは、常にやさしい親であってほしいのです。親はそう思っても、多忙な毎日にその余裕が見出せないのでしょうね!でも、この作品を読んで、少しだけでも心にゆとりを持って子どもさんに接してみてはいかがでしょうか?
そうすれば、家庭や親子関係をこの日から少しは変えられるかも・・?
以下の作品を読まれましたら、是非、よい意味での解釈をお願いします。
<父親を表現した『ぼく・わたしの五・七・五』>(原文のまま)
1.お父さん あしが大きい すごいなあ (2年:女子)
2.おとうさん いつもおしごと ありがとう (3年:女子)
3.お父さん さかなつりに ついてくぞ (2年:女子)
4.おとうさん いつもやさしく ありがとう (3年:男子)
5.お父さん さけをぜんぜん のまないよ (?年:?子)
6.おとうさん いつもこわいよ プンプンと (1年:男子)
7.お父さん 少しは動け なまけるな (4年:男子)
8.おとうさん たばこくさいよ においます (2年:女子)
<母親を表現した『ぼく・わたしの五・七・五』>(原文のまま)
1.おかあさん いつもごはんを ありがとう (3年:女子)
2.おかあさん いつもつかれて だいじょうぶ(2年:男子)
3.お母さん いつもやさしい さいこうだ (?年:?子)
4.お母さん いつもニコニコ ありがとう (2年:女子)
5.おかあさん わたしのために ありがとう (3年:女子)
6.おかあさん おこったかおは おにみたい (3年:女子)
7.お母さん いつもおこると つのはえる (?年:?子)
8.おかあさん いつもかんかん おこりすぎ (1年:女子)
両親のことになれば、どうしても低~中学年の子どもの作品が多いようです。一番、素直で損得抜きに親を観察しているのかも知れません。一緒に遊びたい、親の仕事の苦労もその子なりに理解し、感謝をしていることに驚きますね!
子どもは、常にやさしい親であってほしいのです。親はそう思っても、多忙な毎日にその余裕が見出せないのでしょうね!でも、この作品を読んで、少しだけでも心にゆとりを持って子どもさんに接してみてはいかがでしょうか?
そうすれば、家庭や親子関係をこの日から少しは変えられるかも・・?
17.サムエル・ウルマンの詩『青春』を紹介・・。
Comment(2)
今回は、ユダヤ系アメリカ人のサムエル・ウルマンの詩『青春』(大変有名ですので一度は目にしたことがあるかと思いますが・・)を紹介します。
青春とは、人生のある時期ではなく、心の持ち方を言う。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、
たくましい意志、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。
青春とは、人生の深い泉の清新さを言う。
青春とは、臆病さを退ける勇気、
安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、情熱は失えば心はしぼむ。
苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥にある。
六十歳であろうと十六歳であろうと人の胸には、
驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、
人生への興味の歓喜がある。
君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美・希望・よろこび・勇気・力の
霊感を受ける限り君は若い。
霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲嘆の氷にとざされるとき、
二十歳であろうと人は老いる。
頭は高く上げ希望の波をとらえる限り、
八十歳であろうと人は青春にして已む
(「青春とは、心の若さである」サムエル・ウルマン著:作山宗久訳より)
新年度と退職後三年目を迎えて、特にこの詩が思い出されてならない。
正に、「青春とは、肉体の若さではなく、心や精神の若さである」ということを肝に銘じて、この一年間を前向きに明るく元気で、身も心も若く過ごしたいものです。尚、ウルマン氏が七十歳に書き、二年後に亡くなったそうです。
青春とは、人生のある時期ではなく、心の持ち方を言う。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、
たくましい意志、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。
青春とは、人生の深い泉の清新さを言う。
青春とは、臆病さを退ける勇気、
安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、情熱は失えば心はしぼむ。
苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥にある。
六十歳であろうと十六歳であろうと人の胸には、
驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、
人生への興味の歓喜がある。
君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美・希望・よろこび・勇気・力の
霊感を受ける限り君は若い。
霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲嘆の氷にとざされるとき、
二十歳であろうと人は老いる。
頭は高く上げ希望の波をとらえる限り、
八十歳であろうと人は青春にして已む
(「青春とは、心の若さである」サムエル・ウルマン著:作山宗久訳より)
新年度と退職後三年目を迎えて、特にこの詩が思い出されてならない。
正に、「青春とは、肉体の若さではなく、心や精神の若さである」ということを肝に銘じて、この一年間を前向きに明るく元気で、身も心も若く過ごしたいものです。尚、ウルマン氏が七十歳に書き、二年後に亡くなったそうです。
16.「人は去った後に評価される」と、いうが・・・
いよいよ三月も後半を迎え、役所関係などの人事異動の記事が目につくようになりました。三月は別れの月とも言われますが、正にその年度を締めくくる慌ただしい年度の師走と言ってもいいのではないでしょうか?仕事をしている方々にとっては、どうしても避けては通られない人事異動の三月なのです。
お互いに縁あってその仕事、その職場に籍を置いてきたのですが、人事異動のない職場は別にしても、年度の締めくくりと仕事や人事の刷新の観点から人事異動は避けては通られないのが日本です。中には、事情があって退職される方々、山さんのように定年を迎える方々もいることでしょう。
そこで今回は、「人は去った後に評価される」と、いう言葉について考えてみたいと思います。一緒に仕事をしていてもその時々で、評価はされているのですが、「本当の評価は去った後の評価ですよ!」と、いうことなのですね。
本来であれば、勤務が一緒の時でも去った後でも、その人の評価は同じであるべきなのですが、どうしても遠慮があり本人が在職中には本当のことが言えなかったのかもしれません。また、本人が去ってからこそ本人の善さに気づくということもあるかと思います。近くにいたから見えなかったものが、去ったことによって遠くからゆっくり眺めてこそ見えてくることもあります。
山さんも十二箇所の職場勤務(退職を含め)を経て考えてみれば、自分が去った後にどんな評価がされていたのか全く分かりませんが、本当に怖い気がしてなりません。もちろんその職場に勤務中は、よく評価されたいと思って仕事をしていたわけではありません。自分の思ったことややりたいことを自分の信念に従ってきたつもりです。そのことが、何人かでも理解してもらっていれば嬉しい限りです。でも、こればかりは確かめようがありません。
残り少ない三月を留任や転勤、退職する方々も自分の評価を気にせず、年度の締めくくりを気持ちよく過ごされ、送別会では去る方々に自分の感じた率直なその方への自分でなければ伝えられない感謝と励ましの言葉を伝えてあげたいものですね!普段から自分の本当の姿を素直に出して、明るく朗らかに前向きな仕事と生き方をすることが、去った後の自分の評価になることでしょう。
お互いに縁あってその仕事、その職場に籍を置いてきたのですが、人事異動のない職場は別にしても、年度の締めくくりと仕事や人事の刷新の観点から人事異動は避けては通られないのが日本です。中には、事情があって退職される方々、山さんのように定年を迎える方々もいることでしょう。
そこで今回は、「人は去った後に評価される」と、いう言葉について考えてみたいと思います。一緒に仕事をしていてもその時々で、評価はされているのですが、「本当の評価は去った後の評価ですよ!」と、いうことなのですね。
本来であれば、勤務が一緒の時でも去った後でも、その人の評価は同じであるべきなのですが、どうしても遠慮があり本人が在職中には本当のことが言えなかったのかもしれません。また、本人が去ってからこそ本人の善さに気づくということもあるかと思います。近くにいたから見えなかったものが、去ったことによって遠くからゆっくり眺めてこそ見えてくることもあります。
山さんも十二箇所の職場勤務(退職を含め)を経て考えてみれば、自分が去った後にどんな評価がされていたのか全く分かりませんが、本当に怖い気がしてなりません。もちろんその職場に勤務中は、よく評価されたいと思って仕事をしていたわけではありません。自分の思ったことややりたいことを自分の信念に従ってきたつもりです。そのことが、何人かでも理解してもらっていれば嬉しい限りです。でも、こればかりは確かめようがありません。
残り少ない三月を留任や転勤、退職する方々も自分の評価を気にせず、年度の締めくくりを気持ちよく過ごされ、送別会では去る方々に自分の感じた率直なその方への自分でなければ伝えられない感謝と励ましの言葉を伝えてあげたいものですね!普段から自分の本当の姿を素直に出して、明るく朗らかに前向きな仕事と生き方をすることが、去った後の自分の評価になることでしょう。
15.コラムの休憩時間(子ども達の五・七・五<1>)
Comment(2)
山さんが校長になって始めたのは、子ども達と交流する機会を作るために、『ぼく・わたしの五・七・五』でした。
校長室前の廊下に五・七・五を書く用紙を置き、投票箱に自由に書いて入れてもらい、全員の五・七・五を校長室の廊下に掲示するのです。それを山さんが勝手に評価して、二重丸と丸を付けますが、変な内容や悪口等は掲示しません。学年や名前は書いても書かなくても本人に任せます。継続していると、二重丸や丸を付けてもらおうとしていい作品が自然と出来て来るから不思議です。
三校分の8年間の作品の一部です。
<父親を表現した『ぼく・わたしの五・七・五』>(原文のまま)
1.おとうさん よるになるたび いびきかく(3年:女子)
2.おとうさん あそんでくれて ありがとう(2年:女子)
3.お父さん ソファーでねるな 起きていろ(4年:男子)
4.おとうさん やさしいときは おこらない(3年:男子)
5.お父さん いつもおこってる こわいよな(5年:男子)
6.おとうさん きびしいけれど やさしいよ(3年:男子)
7.おとうさん しゃれはさぶいよ もうやめな(4年:女子)
<母父親を表現した『ぼく・わたしの五・七・五』>(原文のまま)
1.おかあさん いつもやさしく きれいだな(2年:女子)
2.お母さん 子どもをおこり しらがふえ (5年:男子)
3.お母さん おこればすぐに おにになる (5年:男子)
4.おかあさん うんでくれて ありがとう (?年:?)
5.母親に 前髪切られ あ~ださい (?年:?)
6.お母さん しわがめだつよ メイクしな (?年:?)
7.おかあさん いつもやさしい だいすきだ(2年:女子)
特に解説はしませんが、それぞれ自分なりに解釈してもらえればと思います。子ども達は子どもなりに、親を学年に応じて鋭い観察(見方)をしているものですね。まだまだ、たくさんありますので、少しずつ紹介していきたいと思います。興味と関心のある方は、楽しみにしてもらえれば幸いです。
校長室前の廊下に五・七・五を書く用紙を置き、投票箱に自由に書いて入れてもらい、全員の五・七・五を校長室の廊下に掲示するのです。それを山さんが勝手に評価して、二重丸と丸を付けますが、変な内容や悪口等は掲示しません。学年や名前は書いても書かなくても本人に任せます。継続していると、二重丸や丸を付けてもらおうとしていい作品が自然と出来て来るから不思議です。
三校分の8年間の作品の一部です。
<父親を表現した『ぼく・わたしの五・七・五』>(原文のまま)
1.おとうさん よるになるたび いびきかく(3年:女子)
2.おとうさん あそんでくれて ありがとう(2年:女子)
3.お父さん ソファーでねるな 起きていろ(4年:男子)
4.おとうさん やさしいときは おこらない(3年:男子)
5.お父さん いつもおこってる こわいよな(5年:男子)
6.おとうさん きびしいけれど やさしいよ(3年:男子)
7.おとうさん しゃれはさぶいよ もうやめな(4年:女子)
<母父親を表現した『ぼく・わたしの五・七・五』>(原文のまま)
1.おかあさん いつもやさしく きれいだな(2年:女子)
2.お母さん 子どもをおこり しらがふえ (5年:男子)
3.お母さん おこればすぐに おにになる (5年:男子)
4.おかあさん うんでくれて ありがとう (?年:?)
5.母親に 前髪切られ あ~ださい (?年:?)
6.お母さん しわがめだつよ メイクしな (?年:?)
7.おかあさん いつもやさしい だいすきだ(2年:女子)
特に解説はしませんが、それぞれ自分なりに解釈してもらえればと思います。子ども達は子どもなりに、親を学年に応じて鋭い観察(見方)をしているものですね。まだまだ、たくさんありますので、少しずつ紹介していきたいと思います。興味と関心のある方は、楽しみにしてもらえれば幸いです。
14.危機管理について考える
気が付けば今日から三月のスタートです。3月が去らないうちにコラムを更新したいと思います。学校に在職中は、何かと危機管理が叫ばれ、また、その対応や訓練等で大変だったことを思い出します。教育に携わりながら、危機管理のためにも多大な時間を費やさなければならない情けなさはありましたが、これも時代のなせることでしかたがありません。本来、学校は地域を始めとして、常に開かれて訪問し易い場所でなければならないはずなのですが?
アメリカの安全技師ハインリッヒさんという方の言葉に、「一つの重大な事故の影には、29の小さな事故と、事故にならなかった300のヒヤリ体験がある」というのです。そう思って何か事故が起こった後で冷静に振り返ってみれば、「なるほど!」ということが私にもたくさんありました。最近のイージス艦事故や過去の列車事故、飛行機事故等を思い出してもらえれば納得いただけることと思います。
これは事故のみではなく、職場や家族、親子・夫婦の人間関係における危機管理にも当てはまると考えるのは飛躍のし過ぎでしょうか?山さんの思いを勝手に書かせてもらいますのでお許し下さい。要するに、職場や家族、親子・夫婦間においても、何か問題やいさかいが起こった時には、相手が小さなサイン(言葉・挨拶・表情・態度・行動・服装等)に気づいて欲しいと思っていたにもかかわらず、たいしたことがないとそのままにし、或いは気にもせずに見落としていたための結果とも考えられものもあります。
小さなサインは中事故への前兆であり、大事故を防ぐための危機管上、見落としてはいけないことなのです。それを素早く見抜けるかどうかで、その人の危機管理への対応が大きく違ってくるのです。何らかの事故やトラブルは、総て自分の責任ではありませんが、相手に対する思いやりや配慮からすると、何か人間関係で見落としていることがないだろうかと考えてみることも時には大切な気がします。特に親しければ親しいほど、私達は案外、子どもや弱い立場の方々に対しての心配りに欠けることがあるものです。人間関係における危機管理は、相手への心配りや思いやり、言葉がけこそ大事な気がしますね。
アメリカの安全技師ハインリッヒさんという方の言葉に、「一つの重大な事故の影には、29の小さな事故と、事故にならなかった300のヒヤリ体験がある」というのです。そう思って何か事故が起こった後で冷静に振り返ってみれば、「なるほど!」ということが私にもたくさんありました。最近のイージス艦事故や過去の列車事故、飛行機事故等を思い出してもらえれば納得いただけることと思います。
これは事故のみではなく、職場や家族、親子・夫婦の人間関係における危機管理にも当てはまると考えるのは飛躍のし過ぎでしょうか?山さんの思いを勝手に書かせてもらいますのでお許し下さい。要するに、職場や家族、親子・夫婦間においても、何か問題やいさかいが起こった時には、相手が小さなサイン(言葉・挨拶・表情・態度・行動・服装等)に気づいて欲しいと思っていたにもかかわらず、たいしたことがないとそのままにし、或いは気にもせずに見落としていたための結果とも考えられものもあります。
小さなサインは中事故への前兆であり、大事故を防ぐための危機管上、見落としてはいけないことなのです。それを素早く見抜けるかどうかで、その人の危機管理への対応が大きく違ってくるのです。何らかの事故やトラブルは、総て自分の責任ではありませんが、相手に対する思いやりや配慮からすると、何か人間関係で見落としていることがないだろうかと考えてみることも時には大切な気がします。特に親しければ親しいほど、私達は案外、子どもや弱い立場の方々に対しての心配りに欠けることがあるものです。人間関係における危機管理は、相手への心配りや思いやり、言葉がけこそ大事な気がしますね。
13.親しくすべき人と親しくすべきでない人とは・・・?
しばらくコラムを更新しないでいるうちに、2月も中旬に入ってしまいましたことをお許し下さい。そう言えば、「1月は行く」「2月は逃げる」「3月は去る」という言葉をどこかで目にした気がします。1月から3月は気が付けば去ってしまうほどなのでしょうか?
さて今回は、安土桃山時代の豪商で島井宗室氏が話している「一生を通じて親しくすべき人は、商売好きな人、家業を大切にする人、出しゃばらぬ人、実直で信用できる人。一方、親しくすべきではない人とは、争い好きな人、人の非難をする人、性格が悪く憎々しい人、人を中傷する人、派手好きな人、大酒飲み、嘘つき、権力に取り入る人」という言葉を考えてみたいと思います。
商売人の発想を別にしても、いつの時代にも当てはまる大事な言葉だと山さんは思います。自分の仕事を一生懸命にして、家庭も大事にすることを忘れず、何事にも出しゃばらず(ただし、今の世は場合によっての出しゃばりは必要だと思いますが・・)、誠実で正直な信用していい人と親しくすべきだと言うのです。一方、何かと面倒な争いを起こす人、他人の悪口や非難を言う人、性格が悪く(その人の解釈でしょうが?)気に入らない人、人の有りもしない事を言いふらす人、総てにおいて必要以上に目立ちたがりやの人、性格の悪い大酒飲みの人、何かと嘘をつく人、仕事上やその時の権力者に取り入る人とは、親しくすべきではないというのです。
自分の親しくしている人は、自分の人間性の評価基準でもあると言えます。どんな人と親しくしているかで、他人はその人を間接的に評価しているのですから、自分が何も言わずとも30年以上も生きてくれば、その人の付き合いも固定し、なかなか変えられるものではありません。自分の付き合いが家族や親戚、職場の人々、または隣近所にも自ずと影響を与えていることを考えれば怖い気もします。
人間は自分に見合った以上の欲を出さずに生きて行けば、自然に親しくすべき人との付き合いが成立し、親しくすべきではない人との縁がなく生きて行けるのだと山さんは思っています。仕事を離れてから人との付き合いを無理せずに、自分で選択しゆっくりできるのが嬉しいですね。
さて今回は、安土桃山時代の豪商で島井宗室氏が話している「一生を通じて親しくすべき人は、商売好きな人、家業を大切にする人、出しゃばらぬ人、実直で信用できる人。一方、親しくすべきではない人とは、争い好きな人、人の非難をする人、性格が悪く憎々しい人、人を中傷する人、派手好きな人、大酒飲み、嘘つき、権力に取り入る人」という言葉を考えてみたいと思います。
商売人の発想を別にしても、いつの時代にも当てはまる大事な言葉だと山さんは思います。自分の仕事を一生懸命にして、家庭も大事にすることを忘れず、何事にも出しゃばらず(ただし、今の世は場合によっての出しゃばりは必要だと思いますが・・)、誠実で正直な信用していい人と親しくすべきだと言うのです。一方、何かと面倒な争いを起こす人、他人の悪口や非難を言う人、性格が悪く(その人の解釈でしょうが?)気に入らない人、人の有りもしない事を言いふらす人、総てにおいて必要以上に目立ちたがりやの人、性格の悪い大酒飲みの人、何かと嘘をつく人、仕事上やその時の権力者に取り入る人とは、親しくすべきではないというのです。
自分の親しくしている人は、自分の人間性の評価基準でもあると言えます。どんな人と親しくしているかで、他人はその人を間接的に評価しているのですから、自分が何も言わずとも30年以上も生きてくれば、その人の付き合いも固定し、なかなか変えられるものではありません。自分の付き合いが家族や親戚、職場の人々、または隣近所にも自ずと影響を与えていることを考えれば怖い気もします。
人間は自分に見合った以上の欲を出さずに生きて行けば、自然に親しくすべき人との付き合いが成立し、親しくすべきではない人との縁がなく生きて行けるのだと山さんは思っています。仕事を離れてから人との付き合いを無理せずに、自分で選択しゆっくりできるのが嬉しいですね。
12.家族(兄弟、姉妹)・親戚と他人の関係を考える
Comment(2)
皆様、明けましておめでとうございます。月並みではありますが、今年もよろしくお願い申し上げます。また、山さんのコラムを今年も読んでいただける方々に重ね重ね感謝申し上げます。
さて、今年初めての山さんのコラムは、家族(兄弟、姉妹)・親戚と他人の関係について考えてみたいと思います。昔から「兄弟(姉妹)は他人の始まり」とか「遠くの親戚より近くの他人」という言葉があります。解釈やその人の受け取り方で正反対に理解される言葉でもあります。
「兄弟(姉妹)は他人の始まり」とう言葉は、どうせ兄弟(姉妹)もゆくゆくは他人になっていくのだからとも解釈できるし、そうではなく、他人にならないように兄弟の仲を常に継続できる関係を絶やさないようにする努力が必要だとも解釈できます。山さんは後者の解釈でなければならないと思っています。
「遠くの親戚より近くの他人」という言葉は、いざと言う時、遠くにいる親戚より近くにいる他人の方が役立つので、常日頃から仲良く近所付き合いを大切にしておく必要があると解釈できます。また、近くの他人とも仲良く付き合いをしていなければ、遠くの親戚のようにいざと言う時には役に立ちませんよ!とも解釈できます。隣の方と仲良くするのは日本古来の文化だと思います。
山さんが子どもの頃は、何があっても本家在っての一族でしたが、いつの頃からか本家より分家の勢力が大きくなって本家を立てなくなって来たのが今の日本です。時代の流れですから良いとも悪いとも言えません。もう少し具体的に言えば、親が同居している長男(長女)宅よりも弟や妹の家族が賑やかな傾向にないでしょうか?今年のお正月に、ご両親へ自分の子どもや孫を連れて顔を見せに行った方々はいいですが、都合で行けなかった方々は時間を見つけて会いに行ってはいかがでしょうか?「兄弟(姉妹)は他人の始まり」だけではなく「親子は他人の始まり」にならないようにしたいものです。
また「血は水より濃い」とも言いますので、いくら親子や兄弟(姉妹)の縁を切ろうとしても、体内を同じ血が流れているのですから、縁を切ったとしても親子や兄弟(姉妹)の血は断ち切ることが出来ないのです。2008年の始めに際して、親子関係や兄弟(姉妹)関係を今一度、考え直し大事にしてほしいものだなあと思って取り上げてみました。
さて、今年初めての山さんのコラムは、家族(兄弟、姉妹)・親戚と他人の関係について考えてみたいと思います。昔から「兄弟(姉妹)は他人の始まり」とか「遠くの親戚より近くの他人」という言葉があります。解釈やその人の受け取り方で正反対に理解される言葉でもあります。
「兄弟(姉妹)は他人の始まり」とう言葉は、どうせ兄弟(姉妹)もゆくゆくは他人になっていくのだからとも解釈できるし、そうではなく、他人にならないように兄弟の仲を常に継続できる関係を絶やさないようにする努力が必要だとも解釈できます。山さんは後者の解釈でなければならないと思っています。
「遠くの親戚より近くの他人」という言葉は、いざと言う時、遠くにいる親戚より近くにいる他人の方が役立つので、常日頃から仲良く近所付き合いを大切にしておく必要があると解釈できます。また、近くの他人とも仲良く付き合いをしていなければ、遠くの親戚のようにいざと言う時には役に立ちませんよ!とも解釈できます。隣の方と仲良くするのは日本古来の文化だと思います。
山さんが子どもの頃は、何があっても本家在っての一族でしたが、いつの頃からか本家より分家の勢力が大きくなって本家を立てなくなって来たのが今の日本です。時代の流れですから良いとも悪いとも言えません。もう少し具体的に言えば、親が同居している長男(長女)宅よりも弟や妹の家族が賑やかな傾向にないでしょうか?今年のお正月に、ご両親へ自分の子どもや孫を連れて顔を見せに行った方々はいいですが、都合で行けなかった方々は時間を見つけて会いに行ってはいかがでしょうか?「兄弟(姉妹)は他人の始まり」だけではなく「親子は他人の始まり」にならないようにしたいものです。
また「血は水より濃い」とも言いますので、いくら親子や兄弟(姉妹)の縁を切ろうとしても、体内を同じ血が流れているのですから、縁を切ったとしても親子や兄弟(姉妹)の血は断ち切ることが出来ないのです。2008年の始めに際して、親子関係や兄弟(姉妹)関係を今一度、考え直し大事にしてほしいものだなあと思って取り上げてみました。
11.おふくろの味(心の味、一生懸命の味、郷土の味)について
今年もわずか一週間ほどになりましたが、各家庭の主婦は、料理作りに振り回され、大変かと思います。でも、その料理を楽しみにしているご家族やお孫さん達の嬉しい顔が目に浮かぶような気がしてなりません。今回、「座右の銘は、心の味、一生懸命、五味人生。心の味とは、何でも心がこもっていなければダメ、おふくろの味。人間はいい時でも威張っちゃいけない。悪い時でも諦めちゃいけない。甘い、辛い、しょっぱいとか、味に五つあるように、人にも変化の行き方がある」という、有名な料理人の周富徳さんの言葉について書いてみたいと思います。
周富徳さんは、心をこめて作ったかどうかで本当のその人の味が出ると言っています。料理の腕がいくら良くても心がこもっていない料理は<単なる料理>でしかなく、少しぐらい料理が下手だとしても作った人の心がこもっていれば<すばらしい料理>なのです。その料理こそが『おふくろの味(心の味)、一生懸命の味』だと思います。
山さんの母は、現在87歳で年々、孫に近い状態ですが、私達5人(姉、山さん、弟2人、妹)を育てながら、田舎のスーパーみたいな小さな商店を経営し、いつも手早く料理を作ってくれていました。高校や大学、仕事に就き家庭を持ってからも、自宅に帰って母の料理を食べると、全ての苦労も忘れホッとした気分になったものです。今は二度と味わうことが出来ず残念でなりません。皆さんにも似たような、いや、それ以上に自分の母親が心をこめて作ってくれた懐かしい『おふくろの味』の思い出が数多くあることでしょう。
周富徳さんは、もう一つ『五味人生』とも言っています。<人生も五つの味(甘い、辛い、酸っぱい、渋い、苦い)>と同じで、<人生にはいろいろな事があるが常に謙虚で、何事をも諦めることなく、自分に合った変化のある生き方が必要だ>と、山さんは理解をしています。人生の苦境に立った時、おふくろの味(心の味)を口にすれば、心も落ち着き勇気が湧いて来るはずです。山さんのようにもう味わえない方、いつでも味わえる方、最初からおふくろの味を知らずに育った方といろいろでしょうが、おふくろの味は自分のふるさとの味(郷土の味)、妻の味でもあります。
今は妻の味が山さんにとっておふくろの味(我が家の味)ですが、まだ料理の出来る母親のある方は、おふくろの味を味わいながら、去る年に感謝し来る年の幸せを願いたいものです。それでは、今日までの愛読に感謝し、今年のコラムは今回で終わらせてもらいます。新年度は新たな気持ちで書きますので、よろしくお願い申し上げます。
周富徳さんは、心をこめて作ったかどうかで本当のその人の味が出ると言っています。料理の腕がいくら良くても心がこもっていない料理は<単なる料理>でしかなく、少しぐらい料理が下手だとしても作った人の心がこもっていれば<すばらしい料理>なのです。その料理こそが『おふくろの味(心の味)、一生懸命の味』だと思います。
山さんの母は、現在87歳で年々、孫に近い状態ですが、私達5人(姉、山さん、弟2人、妹)を育てながら、田舎のスーパーみたいな小さな商店を経営し、いつも手早く料理を作ってくれていました。高校や大学、仕事に就き家庭を持ってからも、自宅に帰って母の料理を食べると、全ての苦労も忘れホッとした気分になったものです。今は二度と味わうことが出来ず残念でなりません。皆さんにも似たような、いや、それ以上に自分の母親が心をこめて作ってくれた懐かしい『おふくろの味』の思い出が数多くあることでしょう。
周富徳さんは、もう一つ『五味人生』とも言っています。<人生も五つの味(甘い、辛い、酸っぱい、渋い、苦い)>と同じで、<人生にはいろいろな事があるが常に謙虚で、何事をも諦めることなく、自分に合った変化のある生き方が必要だ>と、山さんは理解をしています。人生の苦境に立った時、おふくろの味(心の味)を口にすれば、心も落ち着き勇気が湧いて来るはずです。山さんのようにもう味わえない方、いつでも味わえる方、最初からおふくろの味を知らずに育った方といろいろでしょうが、おふくろの味は自分のふるさとの味(郷土の味)、妻の味でもあります。
今は妻の味が山さんにとっておふくろの味(我が家の味)ですが、まだ料理の出来る母親のある方は、おふくろの味を味わいながら、去る年に感謝し来る年の幸せを願いたいものです。それでは、今日までの愛読に感謝し、今年のコラムは今回で終わらせてもらいます。新年度は新たな気持ちで書きますので、よろしくお願い申し上げます。
10.一生の幸せとは・・・・・・?
山さんのコラム「2.人間は誰でも一年を楽しみたい」というコメントに市民さんから『一生を楽しむなら・・、という諺は?』とありましたが、今、ようやく思い出したので書いてみたいと思います。十数年前にたまたまラジオを聴いていた時、キリスト教関係のこんな言葉を思い出したのです。「自分が布団に入って休むときに、今日一日は幸せな事が多かったと思えばその日は幸せであり、そうでなければ幸せでなかったのです。その人間が亡くなる時に幸せなことが多かったなあ、と思えば幸せな一生なのです」というような内容であった。何故か妙に頭の隅に残って忘れないでいました。
このことは一時間に限っても、一週間、一ヶ月でも同じことが言えると思います。「一生を楽しみたい」「一生を幸せに過ごしたい」と考えることは、人間であれば誰しも望みたいところですが、いくらなんでも無理かと思います。
何故なら、どんな方にとっても嫌なことや悲しい事、不幸なことなどが本人の思いにかかわらず必ず巡って来るからです。それでも、「一時間を、一週間を、一ヶ月を出来るだけ楽しく、幸せに過ごしたい」と思って少しだけでも努力することによって、ただ何気なく過ごすよりは『楽しく、幸せに』過ごすことに近づくことが出来るのではないでしょうか。
山さんはクリスチャンではありませんが、高校生の時は英語の勉強にと思って、教会に何回か通ったりしたことがありました。今だから言えますが、大学に入ってからは、一人で教会に行って日曜の説教を聞いたりしたものです。このことは私の友達も誰も知らないかと思います。特に悩みがあったのではなく、何となく行って何となく帰って来たことを覚えています。
間もなく2007年(平成19年)も今月で終わろうとしています。一年間を締めくくる意味でも、自分にとって、この一年間は、幸せな事や楽しい事が多かったのでしょうか?お互いに、残り少ない12月の日々を毎日楽しく、幸せに過ごされますことを祈っています。
さて、山さんの一年間はと言えば、おかげさまで健康な体で好きな事(料理、フラワーアレンジメント、ロード自転車、パソコン教室、国内外の旅行、男声合唱、コラムの執筆)が出来ましたので、幸せで楽しい一年間に感謝です!!皆様は如何だったでしょうか?
このことは一時間に限っても、一週間、一ヶ月でも同じことが言えると思います。「一生を楽しみたい」「一生を幸せに過ごしたい」と考えることは、人間であれば誰しも望みたいところですが、いくらなんでも無理かと思います。
何故なら、どんな方にとっても嫌なことや悲しい事、不幸なことなどが本人の思いにかかわらず必ず巡って来るからです。それでも、「一時間を、一週間を、一ヶ月を出来るだけ楽しく、幸せに過ごしたい」と思って少しだけでも努力することによって、ただ何気なく過ごすよりは『楽しく、幸せに』過ごすことに近づくことが出来るのではないでしょうか。
山さんはクリスチャンではありませんが、高校生の時は英語の勉強にと思って、教会に何回か通ったりしたことがありました。今だから言えますが、大学に入ってからは、一人で教会に行って日曜の説教を聞いたりしたものです。このことは私の友達も誰も知らないかと思います。特に悩みがあったのではなく、何となく行って何となく帰って来たことを覚えています。
間もなく2007年(平成19年)も今月で終わろうとしています。一年間を締めくくる意味でも、自分にとって、この一年間は、幸せな事や楽しい事が多かったのでしょうか?お互いに、残り少ない12月の日々を毎日楽しく、幸せに過ごされますことを祈っています。
さて、山さんの一年間はと言えば、おかげさまで健康な体で好きな事(料理、フラワーアレンジメント、ロード自転車、パソコン教室、国内外の旅行、男声合唱、コラムの執筆)が出来ましたので、幸せで楽しい一年間に感謝です!!皆様は如何だったでしょうか?
9.自己満足と自己反省について
Comment(2)
今回は、山さんが生き方のモットーとしてしてきた言葉である何事も『半分の自己満足、半分の反省』からスタートすれば腹も立たず、自分のした仕事にも納得ができて毎日が楽しく過ごせるということを書いてみたいと思います。この言葉は山さんが勝手に作った言葉ですので、簡単にその経過を述べさせてもらいます。人によっては消極的過ぎると思いますでしょうか?
若い頃の山さんは、いつも元気で納得できないことは直ぐに手を上げてよく上司や同僚を困らせていたものです。自分は正しいと信じて発言したり行動したつもりが否定されたり、一生懸命仕事をしたのに評価されず落ち込んだりを繰り返しているうちに、「誰に何と言われようと私は一生懸命やったんだ!でも、考えてみれば反省すべき点も確かにあるな」と思って、考えついた言葉が『半分の自己満足、半分の反省』でした。
この『半分の自己満足、半分の反省』は、まず、何事も自己満足を半分と自己反省を半分からスタートすればいいということです。つまり、他人に何と言われようとも「今回の事は、自己満足は3割だが反省は7割だ」とか「今回は、自己満足は6割だが反省は4割だ」というように考えてみることで、上司や同僚から何と言われても腹を立てることもなく、「うん、そうだ、そうだ!」と笑顔で対応することができるようになったのですから感謝です。自分が上司になった時も同様な考え方で対応できたので、どんなことを言われても気にせず気持ちよく仕事ができたことに感謝しています。
最近、読んでいた本『ツキと幸福を呼び込むHappy貯金箱よっちゃん』(王様文庫)に偶然、<この世には'50-50の法則'というのがあって、常に自分への賞賛が50%、自分への批判が50%>という言葉を発見して、なるほどと思いました。山さんの考えた言葉も根拠があったんだと、この年になって一人で納得しています。「言いたいやつには、言わせておけばいい」(同書より)という気持も大事ですよね。
現在、つたないコラムを連載させてもらっていますが、同様に『半分の自己満足と、半分の反省』と'50-50の法則'を常に考えながら楽しんで書かせてもらっています。
若い頃の山さんは、いつも元気で納得できないことは直ぐに手を上げてよく上司や同僚を困らせていたものです。自分は正しいと信じて発言したり行動したつもりが否定されたり、一生懸命仕事をしたのに評価されず落ち込んだりを繰り返しているうちに、「誰に何と言われようと私は一生懸命やったんだ!でも、考えてみれば反省すべき点も確かにあるな」と思って、考えついた言葉が『半分の自己満足、半分の反省』でした。
この『半分の自己満足、半分の反省』は、まず、何事も自己満足を半分と自己反省を半分からスタートすればいいということです。つまり、他人に何と言われようとも「今回の事は、自己満足は3割だが反省は7割だ」とか「今回は、自己満足は6割だが反省は4割だ」というように考えてみることで、上司や同僚から何と言われても腹を立てることもなく、「うん、そうだ、そうだ!」と笑顔で対応することができるようになったのですから感謝です。自分が上司になった時も同様な考え方で対応できたので、どんなことを言われても気にせず気持ちよく仕事ができたことに感謝しています。
最近、読んでいた本『ツキと幸福を呼び込むHappy貯金箱よっちゃん』(王様文庫)に偶然、<この世には'50-50の法則'というのがあって、常に自分への賞賛が50%、自分への批判が50%>という言葉を発見して、なるほどと思いました。山さんの考えた言葉も根拠があったんだと、この年になって一人で納得しています。「言いたいやつには、言わせておけばいい」(同書より)という気持も大事ですよね。
現在、つたないコラムを連載させてもらっていますが、同様に『半分の自己満足と、半分の反省』と'50-50の法則'を常に考えながら楽しんで書かせてもらっています。
8.問題解決のための言葉は?
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山さんが大学生の頃、アルメガ会(アルファーからオメガーまでという意味で、何事も幅広い内容の本を読み議論しよう、という会)に所属し、当時、流行していた中国の毛沢東著『実践論・矛盾論』やフランスのカミュ著『異邦人』等を読んだことが懐かしく思い出されます。その中でも毛沢東著『実践論・矛盾論』に書かれてあった次のような言葉は、その後の山さんの物事を解決する考え方に大きな影響を与えていきます。
それは、『物事には主要な矛盾と従属的な矛盾があり、従属的な矛盾をいくら解決しても主要な矛盾の解決にはならない』というような言葉であった。私が教師や人間として出発するに当たって、何か物事を判断するときには必ずこの言葉を思い出して対応してきました。静かに時間を置いて考えれば、今、何を解決することが一番大事なのかがよくわかり大いに助けられた言葉です。
山さんは「物事には解決するべき本当に大事な問題とそれに付随するたくさんの問題があるが、付随する問題をいくら解決しても次から次と別な問題が発生して来るので、本当に大事な問題の解決に迫る事をしなければ、本当の解決にはならない」と解釈をして、多くの物事の解決に当たってきました。そのおかげで、ずいぶんいろいろな事柄の解決に活用させてもらい助かりました。
この言葉を頭において考えれば、いつでも本題から外れることがなく正しい議論ができ、意見を述べることができたので本当に感謝しています。議題から外れた意見を言う人は、従属的な矛盾のみを強調して、主要な矛盾に触れていないからなのです。このことは、特に話し合いの司会をしたり、まとめをする方には、心してもらえば大いに参考になるのではないでしょうか?
学校は、何かと会議の多い場ですので、話す人の意見を聞けばその人が本題からずれた意見を言っているのか?本題に迫る意見を言っているのか?がよくわかり、その人の考え方を理解する基準にもなりました。よく<核心を突く意見>と言いますが、これこそ主要な矛盾を言い当てているのであり、<的外れな意見>は従属的な意見のみでしかないのです。国会中継や討論会などをこのような考え方で聞いていると、楽しくなりますよ。山さんは、毎日の生活の中にも主要な矛盾を探して楽しんでいます。
それは、『物事には主要な矛盾と従属的な矛盾があり、従属的な矛盾をいくら解決しても主要な矛盾の解決にはならない』というような言葉であった。私が教師や人間として出発するに当たって、何か物事を判断するときには必ずこの言葉を思い出して対応してきました。静かに時間を置いて考えれば、今、何を解決することが一番大事なのかがよくわかり大いに助けられた言葉です。
山さんは「物事には解決するべき本当に大事な問題とそれに付随するたくさんの問題があるが、付随する問題をいくら解決しても次から次と別な問題が発生して来るので、本当に大事な問題の解決に迫る事をしなければ、本当の解決にはならない」と解釈をして、多くの物事の解決に当たってきました。そのおかげで、ずいぶんいろいろな事柄の解決に活用させてもらい助かりました。
この言葉を頭において考えれば、いつでも本題から外れることがなく正しい議論ができ、意見を述べることができたので本当に感謝しています。議題から外れた意見を言う人は、従属的な矛盾のみを強調して、主要な矛盾に触れていないからなのです。このことは、特に話し合いの司会をしたり、まとめをする方には、心してもらえば大いに参考になるのではないでしょうか?
学校は、何かと会議の多い場ですので、話す人の意見を聞けばその人が本題からずれた意見を言っているのか?本題に迫る意見を言っているのか?がよくわかり、その人の考え方を理解する基準にもなりました。よく<核心を突く意見>と言いますが、これこそ主要な矛盾を言い当てているのであり、<的外れな意見>は従属的な意見のみでしかないのです。国会中継や討論会などをこのような考え方で聞いていると、楽しくなりますよ。山さんは、毎日の生活の中にも主要な矛盾を探して楽しんでいます。
7.厳しさに感謝できる人間でありたい
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人間は、ややもすれば厳しい事を言われると、どうしても嫌な気がして腹を立てたくなります。今回はその厳しさについての言葉を見つけました。ジャーナリストの櫻井よし子さんのお母さんが話していた言葉です。
『人間はね、一番厳しい事を言ってくれる人がいることに感謝しなくちゃいけないの。一番厳しい事を言われた時に、その言葉に耳を傾けることが、とても大事なのです』なるほど納得です。
そういえば、後で冷静になって考えてみれば、<感謝しなくては・・!>と思う事が多いから不思議です。
山さんが<納得!>と言っても、言われる身になってみれば、その相手や言われ方によっては、心に大きなダメージを受けることもありますので、一概には厳しさに感謝できないかもしれません。櫻井さんのお母さんは、「あなたのことを思って一番厳しい事を言ってくれた方に感謝しましょう!」と話しているのだろうと山さんは解釈して書いています。
一番厳しい本当の事を言ってくれる人は、その人を何とかしたい、今より成長してほしい、と思うからこそ言うはずです。相手の話す厳しさの本当の意味や思いが理解できない人は、人間としても仕事の面でも成長できないで終わることでしょう。山さんも「冷たくすることも親切でありやさしさだ」と思っていますので同感です。人間は自分も気がついていることを他人に言われるのが嫌だからこそ腹が立つのであり、ビックリもするのです。だから、後で落ち着いて考えれば、自分のことを思って厳しい事を言ってくれたのだなぁ、と感謝できるのです。そんな人間になりたいものです。中には全く気づかないで腹を立てている方もいるとすれば、本当に悲しいことです。
言われた事に腹を立てるのか?感謝するか?で、人間として生き方や仕事に対する取り組み方が、大きく違ってきます。相手に対して、その人の受け取り方でしょうが、厳しさに感謝できる人間でありたいものです。山さんは、感謝には感謝が必ず返ってくるものと信じています。相手に感謝、自分に感謝ですね。
『人間はね、一番厳しい事を言ってくれる人がいることに感謝しなくちゃいけないの。一番厳しい事を言われた時に、その言葉に耳を傾けることが、とても大事なのです』なるほど納得です。
そういえば、後で冷静になって考えてみれば、<感謝しなくては・・!>と思う事が多いから不思議です。
山さんが<納得!>と言っても、言われる身になってみれば、その相手や言われ方によっては、心に大きなダメージを受けることもありますので、一概には厳しさに感謝できないかもしれません。櫻井さんのお母さんは、「あなたのことを思って一番厳しい事を言ってくれた方に感謝しましょう!」と話しているのだろうと山さんは解釈して書いています。
一番厳しい本当の事を言ってくれる人は、その人を何とかしたい、今より成長してほしい、と思うからこそ言うはずです。相手の話す厳しさの本当の意味や思いが理解できない人は、人間としても仕事の面でも成長できないで終わることでしょう。山さんも「冷たくすることも親切でありやさしさだ」と思っていますので同感です。人間は自分も気がついていることを他人に言われるのが嫌だからこそ腹が立つのであり、ビックリもするのです。だから、後で落ち着いて考えれば、自分のことを思って厳しい事を言ってくれたのだなぁ、と感謝できるのです。そんな人間になりたいものです。中には全く気づかないで腹を立てている方もいるとすれば、本当に悲しいことです。
言われた事に腹を立てるのか?感謝するか?で、人間として生き方や仕事に対する取り組み方が、大きく違ってきます。相手に対して、その人の受け取り方でしょうが、厳しさに感謝できる人間でありたいものです。山さんは、感謝には感謝が必ず返ってくるものと信じています。相手に感謝、自分に感謝ですね。
6.お酒は楽しく飲みたい
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師走まであと一ヶ月を残すだけとなりましたが、早い職場や団体では11月上旬から忘年会等の飲み会が始まることでしょう。山さんの所属する合唱団三沢エンテンコールも11月10日(土)に忘年会を予定しています。そうでなければ、勤務している団員がそろわないので、毎年11月の第一土曜日をめどに開催するのが恒例となっています。
そこで今回の“光る言葉”は、皆さんもよく本で読んだり聞いたりしたことがある『一杯は人酒を飲む、二杯は酒酒を飲む、三杯は酒人を飲む』(出典不明)を取り上げてみました。一杯、二杯、三杯と読んでいくに従って、なんだか怖くなってきそうな気がしてなりません。『酒は百薬の長、酒は百薬の毒』(出典不明)という似たような言葉もあります。
お酒の大好きな山さんにとっては、実に耳の痛い言葉なのですが、反面、お酒が好きだからこそしっかり心に記憶してお酒を飲みたいとも思います。若い頃の山さんは、酒に飲まれたことが何回もあって恥ずかしい限りでした。一杯目の「人が酒を飲んでいる」うちはいいのですが、二杯目の「酒が酒を飲み始める」とどこかでブレーキが利かずに「酒が人を飲む」、つまり酒に飲まれてしまっているのです。「酒を飲んでも酒に飲まれるな!」ということは、よく言われているのに・・・。今はようやくお酒を楽しみながら飲んでいますよ。
せっかくのお酒を飲む機会を楽しく過ごして、明日の活力に繋げていくようにしたいものです。出来れば二杯目から心して楽しく飲めれば、健康のためにや同僚、仲間にとっても有意義な会合になることでしょう。どんな事があってもお酒のせいにすることなく、明るく楽しいお酒を飲むようにしたいですね!お酒を飲めない方には無理強いをすることなく、車を運転する方には「飲んだら乗るな!」「飲んだら乗らせるな!」もお互いに声を掛け合い、いつでも楽しいお酒を飲みたいものです。そうであればこそ、自分も気持ちがよく、翌日の仕事にも好影響を与え、仲間や家族にも喜ばれるはずです。よい師走を!
そこで今回の“光る言葉”は、皆さんもよく本で読んだり聞いたりしたことがある『一杯は人酒を飲む、二杯は酒酒を飲む、三杯は酒人を飲む』(出典不明)を取り上げてみました。一杯、二杯、三杯と読んでいくに従って、なんだか怖くなってきそうな気がしてなりません。『酒は百薬の長、酒は百薬の毒』(出典不明)という似たような言葉もあります。
お酒の大好きな山さんにとっては、実に耳の痛い言葉なのですが、反面、お酒が好きだからこそしっかり心に記憶してお酒を飲みたいとも思います。若い頃の山さんは、酒に飲まれたことが何回もあって恥ずかしい限りでした。一杯目の「人が酒を飲んでいる」うちはいいのですが、二杯目の「酒が酒を飲み始める」とどこかでブレーキが利かずに「酒が人を飲む」、つまり酒に飲まれてしまっているのです。「酒を飲んでも酒に飲まれるな!」ということは、よく言われているのに・・・。今はようやくお酒を楽しみながら飲んでいますよ。
せっかくのお酒を飲む機会を楽しく過ごして、明日の活力に繋げていくようにしたいものです。出来れば二杯目から心して楽しく飲めれば、健康のためにや同僚、仲間にとっても有意義な会合になることでしょう。どんな事があってもお酒のせいにすることなく、明るく楽しいお酒を飲むようにしたいですね!お酒を飲めない方には無理強いをすることなく、車を運転する方には「飲んだら乗るな!」「飲んだら乗らせるな!」もお互いに声を掛け合い、いつでも楽しいお酒を飲みたいものです。そうであればこそ、自分も気持ちがよく、翌日の仕事にも好影響を与え、仲間や家族にも喜ばれるはずです。よい師走を!
5.最もよい教師と親とは?
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イギリスで自由教育を実践した有名な教育学者ニールは『教師の権威とは何だ。最もよい教師とは、子どもと共に笑う教師である』と言っている。
上記の言葉の“教師”を“親”に代えて読んでみても実に味わいのある“光る言葉”であると山さんは思っている。
元教師の山さんにとっては、若い教師時代を反省させられる非常に意味深い考えさせられる言葉でもある。
山さんは大学を卒業し二十歳を過ぎたばかりで念願の教師になり、田舎の小学校に赴任して四年生を担任する。
人間性も教師意識もしっかり持たないままのスタートでしたので、<いつも子どもを笑っていた教師>であったような気がしてならない。
教師の権威も持たず<最もよくない教師>であったと大変申し訳ない気持で一杯である。
それでは、<子どもと共に笑う教師>になれたのはいつの頃だったかと問われれば答えようがない。
正確には、担任した子ども達から聞いてもらうしかない。
教師も親も常に<子どもと共に泣き、笑い、喜べる>人間関係の毎日でありたいものです。
そうすれば、子ども達は学校でも家庭でも楽しく過ごせ、表情にも明るさが見え、活動的な毎日を過ごせるはずです。
教師も親も時として、その日の忙しさにだけ目が向いて子どもの気持をよく考えもせずに、簡単に子どもを笑ったり叱ったりすることがあるものです。
いくら多忙でもその子どもの性格と気持をよく考えた上で接する努力をしたいものです。
そうすることが<最もよい教師と親>に近づく第一歩であり、<教師と親の権威>にもつながると考える山さんなのですが・・・。
上記の言葉の“教師”を“親”に代えて読んでみても実に味わいのある“光る言葉”であると山さんは思っている。
元教師の山さんにとっては、若い教師時代を反省させられる非常に意味深い考えさせられる言葉でもある。
山さんは大学を卒業し二十歳を過ぎたばかりで念願の教師になり、田舎の小学校に赴任して四年生を担任する。
人間性も教師意識もしっかり持たないままのスタートでしたので、<いつも子どもを笑っていた教師>であったような気がしてならない。
教師の権威も持たず<最もよくない教師>であったと大変申し訳ない気持で一杯である。
それでは、<子どもと共に笑う教師>になれたのはいつの頃だったかと問われれば答えようがない。
正確には、担任した子ども達から聞いてもらうしかない。
教師も親も常に<子どもと共に泣き、笑い、喜べる>人間関係の毎日でありたいものです。
そうすれば、子ども達は学校でも家庭でも楽しく過ごせ、表情にも明るさが見え、活動的な毎日を過ごせるはずです。
教師も親も時として、その日の忙しさにだけ目が向いて子どもの気持をよく考えもせずに、簡単に子どもを笑ったり叱ったりすることがあるものです。
いくら多忙でもその子どもの性格と気持をよく考えた上で接する努力をしたいものです。
そうすることが<最もよい教師と親>に近づく第一歩であり、<教師と親の権威>にもつながると考える山さんなのですが・・・。
